您的位置:首页> 新闻动态 > 【网上学日语】动不动就“给自己奖励”,这样毫无益处!
嗨米娜桑,今天给大家带来的是一篇发人深省的文章哦~
我们经常能看到关于“存钱的魔法语言”、“受欢迎的法则”等等心灵鸡汤和自我肯定的内容,但是这些鸡汤很大程度上对我们是没有什么好处的,有时候甚至是“危险”的。
为什么“奖赏努力至今的自己”这句话是“危险的说法”呢? 財布の色がどうしたこうしたとか、お札はそろえて入れるべきだとか、私に言わせればこうしたもののほとんどは荒唐無稽なオカルトとしか思えないのですが、相変わらずこの手の類の記事は人気があります。 改变钱包的颜色之类的,将钱规整好放进钱包之类的,对笔者而言根本就是荒唐的无稽之谈,但这类文章却随便写写就很吃香。 私は「おカネが貯まる魔法の言葉」などは存在しないと思っていますが、「おカネが貯まらない悪魔の言葉」は確実に存在すると思っています。そうした悪魔の言葉の1つが、「頑張った自分へのご褒美」です。これは日常生活の中でしばしば使われることがあります。 笔者认为“存钱的魔法语言”之类的东西是不存在的,但“存不下钱来的魔法语言”是确实存在的。其中一句称得上“恶魔之语”的就是“奖赏努力至今的自己”。这句话可以说在日常生活中十分常见。 具体的に言えば、何かを衝動買いで買ってしまったとか、あるいはダイエット中にもかかわらずおいしいスイーツをいっぱい食べてしまったというケースです。そんな時に「これは最近、仕事を頑張っているからそれに対するご褒美だ」と自分で自分を納得させます。あるいは、周りの人に言い訳するのです。フェイスブックやツイッターを見ていると、こういうコメントや書き込みは頻繁に出てきます。言わばごく日常的に使われている言葉なのですが、どうしてこれが「悪魔の言葉」になるのでしょうか。 具体来讲,就是当你一时冲动买下一样东西,或者说在减肥的时候吃了很多甜食的时候。在这个时候就会自我安慰道“这是我最近工作太努力了,需要奖励一下我自己”。或者说是对周围的人讲的借口。看看Twitter和Facebook,你就会发现这样的博文铺天盖地。可以说是日常生活中非常常用的句子,为什么就成了“恶魔之语”了呢? 人間というのは、何か行動を起こすときに因果関係と理由づけを求めるものです。「~だからこうなった」という因果関係がないと、どこか気持ち悪いと感じるのです。さらに自分の行動や判断が絡んでくると「理由づけ」を求めたがります。「こうなったのは、これこれこういうことがあったからだ」と納得したがる性質を持っているのです。 人类会在做一件事情之前寻求其因果关系作为行动理由。如果没有“正因为如此才要这么做”的因果关系的话,就会觉得做起事情来怪怪的。再加上要对自己的行动和判断找一个“理由”。只有知道“之所以会成为这样是因为发现了那样的事情”,才能更容易让自己接受目前的这个事实。 本来、モノを買ったり、おいしいものを食べたりするのは人間の自然な欲求です。場合によっては衝動買いをしたり、ダイエット中にもかかわらず突然たまらなく甘いものが食べたくなってケーキを2個も食べてしまったりする。こういうことは人間誰しもあることです。 本来,买东西,享美味是人类的自然欲求。我们也会根据场合场景的不同出现冲动购买的行为,也会在减肥中突然忍不住就是想吃两个甜甜的蛋糕。只要是人,都会有这样的时候。 そもそも人間は心理的に遠い将来の価値を低く見積もりがちです。1年先のスリムな姿を想像して楽しむよりも、目の前にあるショートケーキに対する魅力のほうがはるかに大きいからです。ですからたまには衝動買いや衝動食いをするのは、しょうがないのです。 原本,人类在心理上更倾向于低谷遥远将来的价值。想象一年后自己苗条的样子而欣喜,还不如眼前的小蛋糕有魅力。所以冲动购物和冲动进食都是没办法的事情。 ところが何も理由がないのに、あるいは何も因果関係がないにもかかわらずそういう行動(衝動買いや衝動食い)をしてしまうと後ろめたい気持ちになってしまいます。そこで「これは頑張った自分へのご褒美」という理由づけを行うのです。これも心理学では「認知的不協和の解消」といって、「楽しんだ自分」と「自制心のないダメな自分」との調和を保つことができないため、その状態を解消しようとして理由づけを行ってしまうのです。 而在没有理由,没有因果关系的行动(爆买狂吃)之后,人们很容易产生内疚感。这个时候“给努力的自己的奖赏”就可以作为理由派上用场。这在心理学上称为“认知性不协调的消除”,因为“快乐的自己”和“无自制力的废柴的自己”无法自主调和,为了消除这种状态就需要借口。 行動経済学では「確証バイアス」という現象があります。これは自分の意見や考えに合うものだけを受け入れたがるという心理で、自分の考えや行動に自信がない場合、それを補強してくれる考えや意見を探しがちになるということを表しています。 在行动经济学中有一种名为“证实性偏见”(过于关注支持自己决策的信息)的现象。它指的是人只会接受切合自己的意见和想法的东西的心理,如果和自己的想法不符或是做事情没有自信时,就会强行寻求一些意见来使其合理。 人は確証バイアスにとらわれてしまうと、なかなか冷静に正しい判断ができなくなるという傾向があるために、注意することが必要です。ところが「自分へのご褒美」は確証バイアスよりももっとタチが悪いと言えます。なぜなら他人の意見による補強ではなく、自分自身による「行動の自己正当化」「因果関係の捏造」だからです。 如果剥夺掉一个人的证实性偏见,就难让他冷静的做出正确的判断,因此这一点是我们必须要注意的。但是“褒奖自我”比起证实性偏见来说更加恶性。因为他不是根据别人的意见来强行纠正,而是以自己为出发点想办法“让自己的行动正当化”,它其实是在“捏造因果关系”。 过分“褒奖自我”只会滋生浪费无节制 欲しいものがあれば買えばいいし、食べたいものがあれば食べればいいのです。別にその行為に理由づけをしたり、正当化したりする必要は何もありません。 有想买的东西买就好了,有想吃的东西吃就好了。也没必要为这些事找理由找借口让它正当化。 ところが、「本当にこんな高いものを買ってしまってよかったんだろうか」とか、「あー、せっかくダイエットしていたのについ誘惑に負けて食べちゃった」という後ろめたい気持ちがあるから「自分へのご褒美」という言葉でごまかしてしまうことになってしまうのです。でもこれは非常に危険です。なぜなら「自分へのご褒美」ということにして、正当化してしまうと、ただ自分の心を納得させただけで、そこに反省も対策も出てこないからです。 这就是将“买这么贵的东西真的好吗?”、“好不容易减下来的体重一不小心没忍住又吃大了”这些内疚用“褒奖自我”混过去了。但是这样是很危险的。因为这样的话仅仅是以此为借口让一切正当化,让自己的内心能够接受自己这些冲动行为,而不会从中反省或思考对策。 言わば「自分へのご褒美」というのはオールマイティのカードなので、これを切り続けると、際限なく無駄遣いが続くことになってしまいます。普通に衝動買いや衝動食いをしてしまったときは、「あ、やっちゃった、まあいいか」というおおらかな気持ちでいればいいのです。そしてきちんと反省し、次にそういう行動をとらないようにするにはどうすればいいかを考えるべきです。 换句话说,“褒奖自我”就像一把万能钥匙,长此以往只会导致无节制的浪费和消耗。当冲动消费后也只是会感叹一下“哎呀,买了。不过算了!”而已。而我们需要思考的是要如何好好反省,以防下次再次出现同样的行为。
希望今天为大家带来的“【网上学日语】动不动就“给自己奖励”,这样毫无益处!”能够对大家的日语学习有所帮助!