您的位置:首页> 日语入门 > いただきます究竟是对人讲的还是对食物讲的
日本人吃饭前会有说いただきます的习惯。但是你了解过为什么他们会说这句话,并且这句话究竟是对做饭的人讲还是对食物本身来讲的。这恐怕就不是所有学日语的小伙伴都知道的了。下面我们就来了解一下いただきます究竟是对人讲的还是对食物讲的。
誰に向かって「いただきます」と言うのか
到底是对着谁说“我开动了”
日本人は食事をする時に「いただきます」と言うが、これは誰に言っているのだろう。
日本人在吃饭时都会说“我开动了”,这到底是对谁说的话呢。
一つの答えとしては、食事を与えてくれた人に対する感謝の言葉である、という考え方だ。とすると、学校の給食では親が給食費を払っているので、子どもたちが「いただきます」という必要はないという事になる。
其中一种说法是,这是对给予自己食物的人的感谢。但如果是这样,学校的餐食是父母付了费用的,孩子就没必要说“我开动了”。
もう一つの答えは、食事を作ってくれた人に対する感謝の言葉というものである。確かに、子どもたちが食事を準備してくれた母親に「いただきます」という時には、これに当たるかも知れない。
另一种是,这是对制作食物的人的感谢。确实,孩子们对给自己准备了食物的母亲说“我开动了”,是合理的解释。
しかし母親も、自分で作った料理に対して「いただきます」と言ったりする。
然而母亲在吃自己制作的料理之前也会说“我开动了”。
この問題に対して、宇根さんは「いただきます」とは、「命をいただく」ことに対する感謝の気持ちである、と説く。食べ物は、穀物にしろ、野菜にしろ、魚にしろ、肉にしろ、すべてもともとは生きものである。
对于这个问题,宇根先生解释说“我开动了”,是对“将生命给予我”的感谢。食物,无论是谷物,还是蔬菜,鱼,或者肉,原本都是生物。
その命をいただいて、我々は自らの命を維持している。それに対する感謝の念が「いただきます」には籠もっているのである。
得到了这些生物的生命,来维持我们自己的生命。“我开动了”是对于这一情况的感恩。
我々は食べ物を通じて、生きとし生けるものの命とつながっている。そして農業は生きものの命から食べ物を作り出し、我々の命を養うという重要な役割を果たしているのである。
我们通过食物,与各种生物的生命联系在一起。而农业承担着将生物制成食物,来养育我们自身的重要责任。
推荐阅读