您的位置:首页> 日语入门 > 为什么说学好动词才能熟练掌握日语
日语的动词可没有像我们中国人眼里看到的这么简单,尤其是很多的训读单词,里边包括的相同读音不同汉字的单词,复合动词还有跟中文含义差很多的单词我们都需要耐心去理解。下面我们一起来看一下为什么说学好动词才能熟练掌握日语。关注公众号未名天日语网校课堂,你想要的日语干货这里都有!
いくら勤勉な学生と言えどもやはり人间。谁だって「最小努力の法则」を可能な限り実践している訳だ。果たして日本语のクラスでも「先生、今学期は単位を多く取りすぎて、あまり时间がないんです。集中的に効果を上げるにはどう勉强すればいいですか」などと闻いてくる学生がいる。考えてみればいい质问だ。日本语をマスターする为の最大ポイントは一体何だろうか。
不管多么勤奋的学生说到底也是人。谁都在尽力实践“最小努力原则(即以最小代价获取最大效益)”。日语班里也的确会有学生来问:“老师,我这学期学分修太多了,时间很紧张。怎样学习才能提高效率呢?”其实想想觉得这问题提得不错。要想掌握好日语关键在于什么呢?
その学生が一年生なら「『てにをは』の正しい使い方と基本动词100を覚えること」とためらわず答えることにしている。この二つは、日本语と同じぐらいに古い、実に安定した要素であり、日本文の基本构造の最大の要であるからである。
如果对方是一年级学生的话,我会毫不犹豫地回答:“关键在于掌握好助词的正确用法以及100个基本动词。”因为这两个要素和日语一样古老,且很稳定,是日语句子基本构造的关键所在。
モントリオール大学では数年前から「これは本です」などという文はわざと後に回して、初级の始めから「ピザを食べます」といったタイプの文から导入することにしている。最初の文は「名词文」次は「动词文」と言われるものだ。导入の顺番を変えてから、学生の反応がとても良くなった。学期始めの2、3周间ですぐやめる学生が减ったのである。なぜだろうか。それは、外来语さえ使えば、多少「バタ臭く」ても立派に通じる日本文が、初心者の学生にもほぼ无限に作れてしまうからである。これまで2回の记事でお话した様に、今やカタカナ语は日本语の日常语汇の10%をゆうに越えているのである。これらはさらに増えることはあっても、减ることはおそらくないであろう。一割と言えば数千にも及ぶ。
蒙特利尔大学在多年前特意把“这是书”这样的句子放到后面去学,而在初级阶段前期导入了“吃披萨”这类句子。人们把前面的句子称作是“名词句型”,后面的称作是“动词句型”。改变学习顺序后,学生们反响很好。开学后前两三周就马上放弃日语学习的学生减少了。这是为什么呢?原来,只要能使用外来语,初学者也能造出像这样有点洋气却也能说通的日语句子,而且几乎是无限量的。正如我在之前两篇文章里提到的那样,如今片假名词的数量在日语常用词汇中足足超过10%。以后这些词恐怕只会增不会减。光这十分之一的数量也是相当可观了。
これに基本动词とその文末五形「ます·ません·ました·ませんでした·ましょう」、疑问文の「か」、共感·确认の「ね」、惊き·强调の「ねぇ!」を「挂け合わせ」ればその数は膨大なことになる。「レストランでピザを食べました」から「セリーン·ディァ◇のCDを闻きましょう」まで、あまり简単に文が作れるので、学生は「えっ、日本语ってこんなに简単なの」と(青か茶色か他の色の)目を白黒。がぜん自信をつけるのである。この自信も「仮名汉字交じり」という世界で最も复雑な表记システムの存在を知って大いに动揺するのだが。话す分に限って言えば、日本语は世界でも极めて难しい言语とは决して言えない。
将这些基本动词和句末五种形态“ます·ません·ました·ませんでした·ましょう”、及用于疑问句的“か”、起共鸣·确认作用的“ね”、表吃惊·强调的“ねえ!”等叠加在一起后数量是十分庞大的。从“我在餐馆吃了披萨”到“一起听席琳·迪翁的CD吧”,造起句来是得心应手,学生们也会非常惊讶,感叹说“啊?原来日语这么简单”,从而信心倍增。虽然这种信心会在他们了解了“假名混汉字”这世界上最复杂的书写系统后发生动摇。但光从口语角度来看,日语在世界上也绝对算不上是很难的语言。
正直な所、何故多くの日本语教科书が揃いも揃って「これは本です」とか「私は日本人です」から第一课を始めるのか、はなはだ理解に苦しむ。これらの「名词文」はいわゆる「『は』と『が』の违い」の「歴史的大问题」を含んでいて初级でハナから教えるのは望ましくないと思えるのだが。
说实话,我很不理解为何众多日语教材都齐刷刷地将“这是书”以及“我是日本人”作为第一课的开始。这些“名词句型”带着一个重大历史问题,即“‘は’和‘が’的区别”,我觉得在初级前期就开始学不太合适。
「セリーン·ディァ◇のCDを闻きました」と「これは机です」を比べてみよう。前者を学生が喜んで覚えるのは、そのまま実戦で役立つ、生きのいい情报を持つ文だからである。後者だが、これでは会话はまるで発展しない。闻き手が「だからどうした」と言いたくなる退屈な文である。さらに言えば、前者の动词の形(连用形)である「闻き」に「ます」ではなく「たい(です)」を付ければ直ちに形容词文の导入ともなる。「ピザを食べたいです」やら「カルガリーに行きたかったですか」などへも発展出来る訳だ。カナダの若く自由な学生にとって、自分の欲求や希望の表现が(多くの教科书の様に)やっと一年の终りに出てくるというのは如何にも遅すぎる。そこに辿り着くまでに多くの学生は日本语への兴味を失って他の言语へと鞍替えしているであろう。
我们来比较下“我听了席琳·迪翁的CD”及“这是桌子”这两个句子。学生之所以很乐意去记前者,是因为它内容生动、可以直接用于实战练习。而后者仅靠这句话则完全无法展开对话。它让听的人觉得索然无味,甚至想问“所以呢”。进一步来说,如果在前者的动词形态(连用形)“闻き”后面用“たい(です)”代替“ます”,就可以直接导入形容词句型了。当然也可以延伸到“我想吃披萨”、“你曾经想去卡尔加里吗”等句子。对于加拿大年轻且热爱自由的学生们来说,用于表达自己欲望及希望的语句(就像很多教科书那样)要在一年快结束时才能学到,实在是太晚了。在这过程中恐怕很多学生都失去了对日语的兴趣,然后转战其他语言了吧。
こうして、基本动词100をマスターすれば膨大な数の日本文が作れるが、勿论动词はそれ以上无数にあるし、「努力する」や「コピーする」などと汉语やカタカナ语に「する」を付けたものまで加えるとそれころキリが无くなる。ましてやこのインターネット时代である。动词はいわゆる「开いたシステム」であって、新しい表现もどんどん生まれているから、とても実数は掴めない。
像这样,只要掌握了100个基本动词就能创造出数量庞大的的日语句子,当然动词数量也是多得数不清,如果再加上汉语词或者片假名词与“する(做、干)”相结合的搭配,比如“努力する(努力)”、“コピーする(拷贝)”等,就更不计其数了。更何况是在如今这个网络时代。动词就是所谓的“开放系统”,新词层出不穷,无法估量。
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